李 洪 志
二〇〇〇年十二月九日 アナーバーにて
皆さんお疲れ様です!(熱烈な拍手)
皆さんにお会いできて、とても嬉しく思います。一年前に皆さんは今のようではありませんでした。この厳しい試練を経て、皆さんはそれほど強く感じていないかもしれませんが、私の目から見ると、皆さんはすでに元のあなたと全く違っています。私たちは歴史上かつてない、最も厳しく、しかも邪悪な試練を経験しました。今まで私たちは何をするにしても、皆さんは次のように考えていました。「どうすれば法をよく学べるのか。どうすれば大法のために仕事ができるのか。どうすれば自分を高められるのか。どうすればさらによく行えるのか」。常に大法を学んでいるという感覚であり、大法の一員としてその中に身を置いているという感覚ではありませんでした。この一年を経て、私は皆さんが完全に変わったと感じました。これまでのような考え方はなくなりました。大法のために何かをやっていても、どんなことをしていても、皆さんは自分を大法の中に置いています。以前のように、大法のために何かをしたいとか、自分の次元を高めたい、といった考えはもはやありません。どんな事をしていても、自分が大法のためにやっているとか、大法のためにどうすべきとか、この法のためにどのようにすればよく行えるのか、とは全く考えていないのです。自分を大法の中に置き、大法の中の一粒子のように、何かをしているとき、それは自分がすべき事だと思っていることをしています。あなたにはこのようなはっきりとした意識がなく、あるいは言葉としてそれを明白に表現することもありませんが、実は皆さんの行動はすでにこのようになっています。これが私に見えたこの一年来の皆さんの最大の変化です。つまり、皆さんはすでに完全に法の中にいるのです。特に古い学習者は、この点においての現れが非常にはっきりとしています。今まではあなたのことを学習者と言ってもいいのですが、最近、私はよく「学習者」を「弟子」と呼んでいます。確かに非常に大きな変化がありました。一人の修煉者として、師父は常人のような激励の仕方で皆さんを誉めたり、皆さんがよく行なっていると称賛したりすることはありません。皆さんは修煉者ですから、どのように行動すべきか分かっています。
今日起きているこれらのことは、歴史上とっくに按排されていました。すべての段階も按排から逸脱していません。もちろん、この按排は昔の古い宇宙にいる高次元の生命たちが段取りをし、しかも宇宙の各層の旧い生命が系統的に按排したのです。彼らの目的もこの宇宙を救うためです。今日の大法、ひいては大法弟子をも含めて、このすべてがうまく運ばれ、完璧を期して、すでに力の限りを尽くしました。彼らはそう思っています。この前サンフランシスコで説法した時、誰にも宇宙大法を試す資格はないと言いました。なぜなら、この生命は宇宙においてどれほど高い境地と次元にいても、みなこの宇宙の生命であり、すべては法によって切り開かれたからです。すなわち、彼の生命までこの法によって造成されたのですから、どうしてこの法を試すことができるのでしょうか。しかし、今まで説法をした時にも皆さんに言いましたが、かつての宇宙の法は、生命が知ることができず、また知ることも許されていなかったのです。もちろん、常人の言い方で言うと、例えば、もし宇宙の衆生が宇宙に法があると分かれば、長い歳月の間に宇宙の衆生が法からずれた後、多くの問題を引き起こしかねません。この法を変えようとする生命も出てくるかもしれません。それに能力があれば、何でもやりかねません。ですから、宇宙の大法の存在形式はどの次元の生命にも知られることが許されていないのです。これで一つの問題がもたらされました。宇宙に法があることを知らないため、宇宙にこの宇宙大法が広げられていることを、私がこの法を悟り実証しているものとみなしたのです。しかも、このことを成功させるために彼らも全力を尽くし、このすべてを圓満させようと私を手伝っています。しかし、また新しい問題が起こりました。どういう問題でしょうか? 宇宙のすべての衆生はすでにこの法から外れ、すなわち彼らの境地と純度は原始の宇宙大法の基準で測ると、すべて基準に達していないのです。ですから、彼らのこのことへの按排と助けは私にとって最大の障碍となりました。彼らがいくらよく行なっても、彼らの境地を超えることはないからです。もし彼らが按排したすべてにしたがって進めていけば、皆さん考えてください。やり終えたとしても何もやっていないことに等しいのではありませんか? やり終えてもまだその境地と基準であれば、だめではありませんか? したがって、彼らが按排し、したすべてを認めるわけにはいかず、成り立つこともできません。
ここで一つ重大な問題が引き起こされました。彼らが按排した一切は、法を正すことに対してプラスの作用になるどころか、重大な妨害となったのです。今日の常人社会における邪悪の現れも高次元生命が按排したことの一部分です。これも彼らの心性が法の基準に到達していない最大の現れであり、異なる次元での参与者の生命と心性の基準を十分に現しました。これはまた同時に法を正すことに一つの有利な条件をもたらしました。どういう条件なのでしょうか? もし、法を正している中、これらの生命が何も現さなかったら、彼らの異なる次元、心性の位置をなかなか決められないのです。つまり法を正すことに困難をきたします。つまり、彼らが大法を試すために行なったすべては、彼らの心性の位置を十分に表すパフォーマンスのようです。同時に、ちょうど学習者ら自身には、長く生きている時に積んだ良くない要素、低い境地において造った業もあります。これらのものがすべて除去されなければならないため、学習者は今回の厳しい試練に遭ったのです。彼らは悪人を利用して私の虚言を言い、学習者が大法に対して揺るぎないかどうかを試しているのです。このようなことです。
先ほど言いましたが、このすべては私が認めてはいけないものであり、今回の邪悪も含め、一掃しなければなりません。彼らは元々私たちを今までの宗教のように扱うつもりでした。変異した観念は彼らの歴史上の神に対する迫害を正当化したのです。イエスが十字架に磔にされたことは、すでに高次元の生命がこの世で人を済度するときの典型例となりました。どうしてこれでいいのでしょうか? このこと自体も堕落なのです! 神が世に降りて人を済度しに来ましたが、人間は神を十字架に磔にしたのです。人間にどれほどの罪があるのでしょうか。いまだにまだ償っています。しかし、それは人間だけではなく、さらに高い次元の生命も堕落していたからなった結果です。このすべてを、彼らは自分たちに問題があると認める勇気はありません。すべてが変異しており、法からずれるまで変異したため徐々にこうなったのです。歴史上、どの次元の生命もそれに触れる勇気はありませんでした。すべては縦横に交錯し、変化した非常に複雑になった要素に左右されています。このすべて不純になったものを取り除く必要があり、徹底的に一掃しなければなりません!
今回の邪悪は常人社会に現れていますが、邪悪な人間が私と大法弟子に魔難を造ったように見えますが、実は異なる次元の変異した生命、つまり堕落した生命が参与しているのです。参与していない生命は大多数ですが、彼らも不純になり、法が正されている中で配置し直されています。もう一つ重大な問題ですが、このことをする当初、私はいかなる生命も今日の人間を済度することができず、いかなる法も今日の生命を済度することができず、誰も今日の人間を変えることができないと彼らに言いました。どういう意味でしょうか? 皆さんに教えますが、今日の思想が変異した人間自身は何も気づかないのですが、人間の本質まで変化が起きたので、どんな修煉形式を採っても、その人が気づいたところを変えることができても、本質の変異を変えることができないからです。ですから、この一年余りを通じて、彼らがどんな手段を用いても、どんなに残酷であっても、学習者の根本的な問題を変えることはできず、結局目的に達することができませんでした。学習者を基準、彼らの要求に到達させるため、邪悪な生命を利用して学習者を酷く殴り、邪悪極まりない手段を尽くしても、やはり目的を達成することができませんでした。そして、彼らはさらに学習者に対して残酷になりました。最後になって、彼らは目的に達成できなかったのに、すでに全力を尽くしたと言いました。なんと邪悪なのでしょう! しかしこの邪悪が生じたにもかかわらず、厖大な宇宙にいる各層の生命はこの邪悪を感じませんでした。なぜなら、すべての生命がみな、変異の真っ只中にいるからです。
彼らが目的を達成できなかったからといって、私たちの学習者がもうだめだということではありません。法を正している中で、すべてを基準に到達させることができます。私は早くからこのようにしてはいけない、と彼らに言いました。いかなる生命、人間はもちろん、どんなに高い次元の生命であっても、宇宙の中にいる生命である限り、私は法を正す中で、本質から、生命の本源から、その生命を構成するすべての要素から彼を正すことができ、不純を取り除き、変えることができます。このようにしてはいけないと彼らに伝え、法を説いても、彼らは聞きません。真実の一切を信じないからです。彼らはやってしまい、それは彼らの罪となりました。私たちは全力を尽くしてあなたを助けました。これほど大きな法であり、未来の宇宙の安全に関わるため、あなたの弟子は基準に達しなければいけない、これほど大きな法はこのような大きな試練を経なければいけない、と彼らは今でもこう考えています。これが彼らの考えていることです。ですから、すべてを壊しても基準に到達させなければいけないのです。したがって、大法弟子が直面しているこの試練は歴史上かつてないことです。皆さんは知っているように、歴史上これほど近代化された宣伝手段はなかったのです。天地を覆い隠すように宣伝しています。またこれほど近代化された輸送手段があったでしょうか? 世界の範囲をここまで縮ませました。ですから、これは歴史上かつてなかった最も重大な迫害です。しかし、邪悪を前にして、学習者が行なったすべては、法を正すことにとっても、師父にとっても、みな最も素晴らしいことです。皆さんからこの邪悪に対する抵抗が真に現れたからです。しかも彼らは宇宙の最も堕落した生命を利用してこの一切を行なっています。宇宙の生命はみな、位置を配置し直されています。人間にこの法を試す資格はありません。神にもありません。試した者がいたなら、それはその者の罪です。このすべては彼らにも分かっています。
それでは彼らが按排したこのすべてを認めないのであれば、良く行動できなかった学習者も圓満成就すべきなのでしょうか? 違います。もし、今のことが起きなかったら、私はすべての生命を善解し、すべて圓満成就の基準に到達させることができます。しかし、邪悪な魔難が起きました。大多数の学習者はそれぞれの形で表に出て大法を実証し、真相を伝え、世の人を済度しています。拘留されたり、殴られたり、死に至るまで迫害された人もいます。師父まででたらめな嘘でひどく攻撃されました。学習者はこの生と死に関わる大事な時に勇気を持って表に出ており、すべてを最大限に失い、表に出て、大法弟子がやるべき偉大なすべてをやり遂げたのです。その一方、表に出ずに隠れていて、邪悪なものに仲間入りして今の事態を認識している人がまだ大法の弟子と言えるでしょうか? 観念が大法を迫害する邪悪勢力の立場を取り、悪事をした人でもまだ大法の弟子ですか? 同様に圓満成就する威徳を備えているのでしょうか? また、神は人間のようではありません。例えば、捕まえられた学習者がいますが、拷問に耐え切れず、懺悔書を書きました。しかし、心の中では「これは彼らを騙すためのものだ。釈放されたらまた煉功し、また法を正し、天安門に行く」と思っています。しかし、これではだめです。この観念も人間が堕落してから形成されたものであり、神ならこのようなことをしません。神にはこのような考えがありません。神は見定めた道なら、最後まで歩み続けるのです。
多くのことは人間の言葉でなかなかはっきりと説明しにくいのです。多くの学習者が「先生、このことをどうして早く終わらせないのですか?」と私に聞いています。苦痛の中にいるとき、「早く圓満成就しましょう。早く終わらせましょう」と多くの人はこういう思いに到ったのです。実はこれはみな執着です。先ほど言いましたが、彼らがこのように学習者を試す目的を達成できたのは、学習者自身に向上する必要があり、最後の業力を取り除く必要があるからです。生命は表面まで突破しつつ、徐々に神になるという過程に、自分が支払った代価、絶え間ない向上、威徳の樹立がなければいけません。私も逆にそれらの生命が自分の心性を表していることを利用し、学習者に威徳を樹立させているのです。実は何があっても、ある生命が常人社会でどんな苦痛を嘗めても、皆さんに教えますが、それは圓満成就した後の果位と比べると、正比例になっていません。本当に正比例になっていません! 皆さん考えてください。昔、修煉の人は一世の修煉、あるいは何世かの修煉を経ましたが、今日、ただの数年間のうちに人を圓満成就させるのです。耐える過程はただの一瞬です。しかも時間は加速されています。将来振り返って見ると、もしあなたが圓満成就できれば、それは何でもなく、あたかも夢のようです。
しかし、この過程の中で、学習者が行なったすべては本当に素晴らしいのです。皆さんの最も偉大なところは法を正すことと足並みをそろえることができたからです。先ほど言いましたが、常人社会のこの邪悪の現れは、宇宙の最も堕落した生命が常人社会に投じられて、やったことです。それらを三界に突っ込み、利用しているのです。高次元の生命は自らの手で常人のやるような悪事をしないので、低次元の邪悪な生命と邪悪な人間を利用してやっています。ですから、みな極めて邪悪なのです。
国外の学習者で、「国外にいて国内の学習者が受けたほどの苦痛がないため、私たちの圓満成就は国内の学習者に及ばないのではないか」と思う人がいます。そうではありません。国内にいても国外にいても、みな一体を成しているのです。今度の出来事が起きたとき、これをやる人も必要であり、あれをやる人も必要です。これが法に対する試練であり、あなたがどこにいても、何をしても、あなたはやるべきことをやるときに自分を高めています。誰が何を担当するか、それなりの理由があります。圓満成就の境地、圓満成就の過程において何の差異もありません。必ずあなたが圓満成就すべきところに行かせます。例を挙げましょう。中国大陸では邪悪の現れがそれほどひどく、もし国外の学習者が真相を暴露し、国内の学習者を応援しなければ、皆さん考えてみてください。邪悪はさらに憚ることなく悪事を働くのではありませんか? そうでしょう。ですから、学習者が法を実証するときに行なったすべては大いに邪悪を暴露し、邪悪を抑制したと同時に、中国大陸の学習者を応援しました。行なったすべては、天安門に行くにしても、ほかの環境で人々に真相を伝えているにしても、国外で法を広め、邪悪の真相を暴露するにしても、みな偉大です。皆さんは一体を成しているからです。中国に行って、天安門に行った学習者もいます。素晴らしいことです。師父はそれが素晴らしいと思います。しかし、師父は別の方面から言えば、国外の学習者はできるだけ中国大陸に行かないでほしいのです。邪悪を暴露するために、あなたの力が必要だからです。昔多くの学習者は「先生、どうして私たちはアメリカで法を得たのですか? どうして国外で法を得たのですか?」と質問しました。実は今になって分かったでしょう? 皆さんのようにここで今のようなことをする人がいなければ、法を正す過程のすべては不完全になるのではないでしょうか? ここで自分のやるべきことをしっかりやるべきです。これは皆さんがなぜ国外で法を得たかの理由です。もし、みな国に帰ってしまえば、法を正し、邪悪を暴露し、大陸学習者への迫害を緩和するなどのことは誰がやりますか? 学習者の皆さんは素晴らしいのです。本当に素晴らしいです! 皆さんはやるべきことを全力をあげてやりました。国内にいるにしても、国外にいるにしても、現れたことはみな同じです。みな表に出られるかどうかの問題、法を正すことへの気持ちの強さなどの問題です。同じような差が存在していますが、ただ環境が異なるだけです。一部の学習者は大きな苦を嘗め、命を失った人もいましたが、これらのことについては、将来皆さんに話します。真相が現れたとき、きっとなるほど、こういうことかと思います。先ほど私は言いましたが、すべてのことに按排があるのです。
人々に真相を伝えることは、皆さん、非常によくやりました。皆さんに教えますが、このことも偉大で慈悲なのです。ただ一枚のチラシを常人に渡し、一つの真相を常人に伝えたかのようにみえますが、皆さんに教えますが、法を正すこの出来事が終わったら、人類は次の時期に入ります。頭の中に「宇宙大法は良くない」と思う人間や生命は最初に淘汰される対象です。なぜなら、彼らは宇宙の最も悪い生命よりも悪いからです。その人が反対しているのは宇宙の法だからです。私たちが世の人に真相を伝えているとき、一部の人の大法に対する邪念を取り除いたので、少なくともこの点において彼を救ったのではありませんか? なぜなら、皆さんが真相を伝える過程で法を得た人もいますが、彼らの罪を取り除いただけではなく、同時に彼を済度したのです。これは皆さんがさらなる慈悲を施したことを物語っているのではありませんか? さらに良いことをしたのではありませんか? 皆さんは極めて難しい情況下で、邪悪の現れが最も猛威を振るっている時、まだこれほど慈悲深いのです。これは最も偉大なる神の現れであり、私たちが最も苦しんでいるときでさえ、なお他人を救おうとすることができるのです。(拍手) これは政治に参与しているのではなく、常人のことに参与しているのでもありません。なぜなら、邪悪を暴露する中で、常人のやり方を利用しても間違いではありません。行なったすべては個人の目的、何らかの常人の組織のためではなく、大法を実証するためです。邪悪を暴露するのは大法と学習者への迫害を停止させるためです。
実は一人の修煉者として、昔は常人がどう思っているか全く構わなかったのです。自分がどう思われても、それは常人の考えであり、修煉者にとって全く気になりません。常人のことを構う人はいません。修めるのは自分自身であり、圓満成就したらこの世を去っていきます。常人はどうなっても構いません。罪があれば、それを償い、だめになったら歴史に淘汰されればいいのです。昔はそうだったのです。今日の大法弟子に現れた慈悲は、これまでどの生命が修煉しているときにもできなかったことです。一人の大法弟子として、最も偉大な慈悲なるものとして、人類社会のどの環境においても最も素晴らしく、最も慈悲深く、生命にとって有益なのです。真相を伝えるとき、そうなるべきではありませんか? 皆さんはこのようにしています。これは一人の大法修煉者の慈悲であり、常人の何らかの活動ではありません。
もう一つのことですが、皆さんは以前、私が宇宙人について話したことを聞いたことがありますが、それを理解できない、下心のある記者はそれを利用して私を攻撃しています。記者が何を言っても私は気にかけることはありません。私はやるべきことをやります。将来、人間は分かってくれるはずです。ここで皆さんに教えることができるのは、皆さんが大法弟子だからです。実は宇宙人が地球の本当の
主です。どの時期でも、地球のこの位置にあのような生命がいたのです。皆さんも聞いたことがあると思いますが、『聖書』でエホバは自分の様子に照らして人間を造ったと言っています。黄色人種の人も、女媧が人間を造ったと聞いたことがあります。どうしてこのようにしたのでしょうか? 歴史上かつてなかったことです。どうして人間を神の形象にしたのでしょうか? 皆さんに教えますが、昔、もし人間を神の形象にしたら、それは神に対する最大の侮辱であり、最もひどく神を誹謗していることでした。どうして今期の人間の形象を神の様子にしたのでしょうか? 大法がこの歴史のある時期に伝えられるからです。その時の生命は大法を聞く資格がなければなりません。動物が大法を聞くことは絶対にだめです。ですから、神は自分の姿かたちを模倣して今日の人間を造ったのです。(拍手) しかし、当初造ったのは皆さんではなく、今日の人類でもありません。ただ人間のこの表面の皮だけは当初のままです。当時の人が人間なのです。ですからそれらの人はみな、一層小さい粒子からなる空間にいて、つまり人間が言っているあの世にいます。言い換えれば、最大の一層の粒子より低い空間にいます。この皮は、表面上まだ人間の皮ですが、実質上すでに人間ではなくなりました。神が指している人間の皮は、人間が言う皮膚のことではなく、それは最大の一層の粒子が構成した、内臓も含めた人間の全体なのです。
昔の人間は地球上にますます少なくなっています。この人間の皮は高次元の生命によって占有された部分がますます多くなりました。ここで大法が伝えられているからです。高次元の生命にも分かっています。これが生命を救うことのできる機会であり、未来に入る最大の保障なのです。しかし、このことはそれらの旧い生命たちにも按排されました。彼らはこの世に来た生命を、法を得る人と大法に魔難をもたらす人に分けました。彼らは魔難を作った人でも将来圓満成就させなければならないと考えています。彼らが作る魔難がなければ、修煉も圓満成就できないからと思っています。しかし私はこの理を認めません。宇宙のいかなる時期でも、いかなる生命であっても、人間を済度するならいいのですが、法を正す期間はだめです。(拍手) どうしてだめなのでしょうか? 皆さん考えてみてください、宇宙全体ですべての生命の心性の位置を配置し直しているので、大法を迫害した邪悪な生命をどこに置いたらよいのでしょうか? 圓満成就した生命と同じようにしてもいいでしょうか? 偉大な神と肩を並べてもいいでしょうか? 絶対にだめです。
この点は最初彼らは信じていなかったのですが、今、彼らははっきりと分かりました。そうすると、それに応じて一つの問題が現れました。どういう問題でしょうか? 人類の50パーセント、つまり数十億の人がこれから法を得ます。しかし彼らはそれほど幸運ではありません。法を正す時期の大法弟子になれないのです。つまり、人類の次の時期に法を学び、法を得るのです。その時期になると、法を得ることはたやすいことではありません。人々はみな本を持っていますが、考えがわずかでも足りなければ法を得ることができません。これは次の時期のことです。多くの生命はこの法を正す実際の状況が見えたからです。多くの生命や、多くの人間もいます。人間にもはっきり分かっている一面があるため、彼らは悪い事をしたくなく、良い形で法を得たいのです。このような人はおよそ20、30パーセントぐらいいます。つまり人類の70、80パーセントの人が法を得るのです。良い形で法を得て、法を妨害する魔難を作らないのです。これが将来の人が法を得るときの情況です。ですから、法を得る人は相当に多いのです。私が今やっているこのことですが、もし新しい学習者が法を得たなら、その人は次の段階で法を得る中核、精鋭になるかもしれません。法を得た後、家で煉功し来なくなり、何の連絡も来ない人がいますが、一部の学習者は感じているかもしれません。多分種のように埋められているのかもしれません。ほかの原因があるかもしれません。二通りの可能性があります。ですから、皆さんがやっていることは偉大であり、素晴らしいことです。人類の情況はとても複雑で、表面から短絡的に人を見るのではありません。すべて法を正す期間に現れた邪悪もそれなりの始末を得るのです。これは確実なことです。すべての生命は位置を配置され直されているからです。大法を破壊する生命がどこに置かれるかは自明のことです。今、法を正している中のすべてに対して絶対的に厳しく、絶対的に正しく要求しなければなりません。これが今までなされたすべてとの違いです。
具体的なことですが、昨年の「四・二五」以降、「七・二〇」までに起きたことに対して、最初考えに揺れがあった学習者もいますが、これも正常なことです。あなたに常人の考えがあるからこそ、修煉できるのです。常人の考えがあるからこそ、揺れるのです。常人の考えがあるからこそ、揺れの中であなたは歩むべき正しい道を決めたのです。これが修煉なのです。ですからその時、「私が学んでいるこの法は正しいでしょうか? 李洪志はどのような人でしょうか? 大法を誹謗中傷する邪悪勢力の言っていることは正しいのでしょうか?」と多くの人は考えました。これらの問題はすべての学習者が考えていたのです。多かれ少なかれ考えたのです。これも皆さんに考えるチャンスを与えているのです。間違いではありません。冷静になってから、皆さんは自分が歩むべき道を歩みました。人間の言葉で自分がどのように認識しているかを表す必要はありません。あなたの行動はすでにすべてを証明したのです。大法の中で今日まで歩んでこられたことは、あなたの行動がすでに、あなたが求めているもの、一人の修煉者として歩むべき道を実証したのです。ここまで乗り越えてきたすべての弟子は、みな偉大です。みな素晴らしいのです。(拍手)
この過程の中で、学習者たちは様々な具体的な問題、多くの困難にぶつかりました。最初の時、どうすればいいか分からなかったのですが、だんだん分かるようになり、試行錯誤しながら、どうすればいいか分かってきました。特にあの時期に、私は何も言わなかったのです。私がもし何かを言ったら試練として成り立たないからです。成り立たなければ、二つの問題が生じるのです。旧い勢力は全力を尽くして破壊し、これが邪法とみなされてしまいます。それなら、私が法を正すことに大きな支障をきたし、宇宙全体に大きな混乱をもたらします。それではいけません。もう一つ、当時、天地に覆い被さるように邪悪の圧力は非常に大きかったのです。明慧ネットに掲載された写真から、地球がサタンの顔のような形をしているのが見えました。それは地球上の業力が現れた形に過ぎません。あらゆる業力の微粒子は異なる業力の形をしており、その全体の形象もあり、つまり業力の形象なのです。しかし、当時の邪悪はこれらの業力を何倍も遥かに超えたのです。多くの次元の生命にとっても極めて恐ろしく、地球だけが邪悪に覆い被されたのではありません。これほど大きな試練を経なければ、それほど大きな法にならないと彼らは思っています。しかし、彼らもこれほど大きな難がやってきたら、人間は耐えられず滅びてしまうことも知っています。しかも大法弟子がこのような難の中を乗り越えるのは非常に難しいことも分かっています。しかし、彼らは滅ぼしてしまっても構わないとも思っています。彼らは私のことさえ修煉している者だとみなしているのです。これほど大きな法を証明し悟るためには、これほど大きな試練でなければいけないと思っています。皆さん、言うのは簡単ですが、実質は極めて恐ろしいことです。当時の環境は形容のしようがなく、極めて悪辣だったのです。しかし、国内の学習者にしても国外の学習者にしても、当時このような感じがあり、それらの邪悪の世間に現れた邪悪の程度を目にしていました。表面上は、ただ人間としての現れにしか見えませんが、実質上、邪悪の要素が人を操っています。それが始まってすぐの時、私は極力それを消滅してきました。しかしあまりにも厖大だったため、いくら速く消滅しても、一つの過程が必要です。九か月の時間をかけてやっと消滅したのです。これも今までになかったことで、非常に大きかったのです。当時、この邪悪があまりに大きかったため、学習者がそれに耐え切ることは不可能でした。もしそれに耐えなければ、試練を受けたことにならないのです。邪悪を消滅するばかりではだめで、それに耐えなければなりません。しかし、もし学習者がそれを受けてしまえば、乗り越えられなくなります。ですから、学習者には人間のところで現れた邪悪を受けさせ、実質上のものは、私が受け持ったのです。(拍手) ここで師父がどれほど偉いかを言っているのではありません。この意味ではなく、私は皆さんにこの過程を話しています。これを消滅し終えてから、情況が変わりました。今年の三月以降、この形勢は次第に変化しました。悪人は邪悪な要素に操られていなければ、精神的な支柱を失ってしまいます。現在彼らは、大法への試練がすでに合格したと思っています。このことも終わりつつあります。ただ一部の人はまだ表に出てきていません。
もちろん、私が何も言わなかったことには、ほかにも原因があります。その一つは、私の弟子──未来に圓満成就する偉大な神が、この劫難の中にいながらどう行動するかも見てみたいからです。もちろんほかの原因もあります。しかし、魔難の中で歩んだ一歩一歩は、すべて皆さんが自力で歩んできたのです。私は何も言いませんでした。全体的に非常に正しく行うことができました。それぞれの人の考えに生じた念はすべて百パーセント正しいとは言えませんが、皆さんが最後に行なったすべて、現れたすべては偉大なのです。その時、師父はいなかったからです。これを見て、我々にこの魔難をもたらした生命、旧い生命も感服して何も言えなくなっています。やるべきこと、耐えるべきことを、皆さんは正々堂々と、素晴らしく乗り越えてきました。
もちろん、情勢は好転しつつありますが、邪悪はまだ根絶されておらず、まだ活動しています。油断してはならず、さらに力をいれて着実にやるべきことをし、圓満成就の道を一歩一歩本当にしっかり歩んでください。今のことがただの大したことのない試練だと思わないでください。実はこの上なく偉大なのです。皆さんは法を実証しているからです。皆さんは最も困難な時に行なったからです。一部のことは常人がやっていることのように見えますが、彼らは私利のため、常人の目的のためにしていますが、皆さんは大法のためにしています。基点が違います。皆さんは修煉する人で、将来この偉大さが分かるはずです。その中には、今皆さんが分かっている神聖さと、今分かっていない神聖さがあります。常人の表現形式からは、さほど偉大だとは感じませんが、それは皆さんのおごりや慢心を引き起こしてはいけないからです。師父はただ皆さんにさらに頑張り、一歩一歩しっかり歩むようにと言うしかありません。この一年の間、真相を伝えている中で、修煉している中で、法を守っている中で、様々な魔難があり、様々な問題に遭遇しましたが、皆さんは自分の考え、自分が決めたことに基づいて歩んできました。師父がしたことは無駄にならなかったのです。皆さんにいかなることをしてあげても、それだけの価値があるのです!(長時間の拍手) 本当に素晴らしいのです!(拍手)
具体的なことについて、機会があれば時間を作って皆さんに話したいと思います。私はすべての法会に参加するとは限りません。私が出てくるのには毎回目的があり、勝手に皆さんに何かを話しているわけではありません。今のような情況の下では特にそうです。将来、時間を作って皆さんに詳しく話します。今日はここまでにしましょう。法を正すことと邪悪を暴露することをさらによく行うよう期待しています。これも修煉なのです。
これくらいでとどめます。ありがとうございました。(拍手)